近所の人よりブログの繋がり

 

先月の日曜日、朝8時から町内会の掃除がありました。

 

集合場所であるゴミ捨て場の前の広場に町内の人がたくさん集まりました。

 

奥様ひとりが多く、ご主人と子供さんが一緒に来た人もいました。

 

僕の近所は共働きが多いので近所の人とは普段あまり顔を合わすことはありません。

 

近所の人がたまに散歩で犬を連れているのを見かけると挨拶しますが、

 

人より犬の方が好きみたいです。

 

僕は集まった人たちに、「おはようございます」と挨拶しましたが、どこの誰だか

 

見知らぬ人ばかり。

 

知っているのは自宅の両隣の旦那様と奥様だけ。

 

知っていると言っても顔だけで、どんな仕事をしていてどこに仕事場所が

 

あるのか、子供が何歳でペットを飼っているのかどうかもわかりません。

 

そのうち町内会長の挨拶と掃除場所の説明があり、各自担当場所に散りました。

 

子供さん繋がりのある人はおしゃべりをしていますが、その他大勢は、

 

話題がないのか深く相手と関わりたくないのか、黙々と掃除をしていました。

 

10時になると町内会長の集合の合図があり、参加者にはジュースが配られ、

 

一人ひとりに、お疲れ様と言ってそれを手渡される時が唯一の心の繋がりでした。

 

僕は町内会の掃除は、町をきれいにするという共通の目的を持つことで

 

みんなの心が繋がるものだと思っていました。

 

しかし僕の期待はもろくも崩れ、僕の心は不完全燃焼のまま掃除が終わりました。

 

それからしばらくして先輩からブログを書くことを勧められました。

 

僕は勉強のためにたくさんのブログを読み続けました。

 

すると、僕が町内会の人に心の繋がりを求めていたものが、ブログの中に

 

あると気付きました。

 

ブログを書いている人がどこに住んでいる人かはわかりませんが、近所に

 

住む人よりその人の生活がよくわかります。

 

近所の家はカーテンで中が隠され、家の中の様子はまったくわかりません。

 

でもブログには、顔こそ隠してありますが、家の中の生活シーンが写真に

 

映し出され、家族やペットとの愛情が手に取るようにわかります。

 

同じ人の書いているブログを読み続けると、書いている人の性格や生活習慣も

 

わかり、まるで自分が家族の一員になったような気になります。

 

読んでいる僕に、「一緒にご飯をたべましょう」と呼びかけています。

 

家族って心が繋がっているから離れられないのだと思います。

 

僕は、今のような心の繋がりが乏しく寂しい世の中に、ブログの価値を

 

見つけたような気がしました。

 

僕は思いました、例え遠くに離れていても、ブログの世界は近所の人よりも

 

心が繋がることができるんですね。