心の掃除

 

僕が介護の仕事をしていた時のことです。

 

老人ホームには色々な人が働いています。

 

施設長、看護師さん、介護士さん、作業療法士さん、食堂の栄養士さん、

 

トイレやお部屋の掃除をするおばさんなどが働いています。

 

僕の施設で、一番親しくお年寄りと接しているのが掃除のおばさんでした。

 

そのほかの人は入れ替わりが激しく、一番長くいるのが掃除のおばさんでした。

 

彼女はその他の誰よりも、お年寄りの気持ちを理解していてやさしくお話を

 

聞いてあげるので、お年寄りから信頼されていました。

 

そこの老人ホームの介護士の中に、新人なのに態度が大きい男性がひとりいました。

 

先輩に教育される時も、友達のような口のきき方でした。

 

少し慣れてきてひとりでお年寄りのお世話をするのですが、そのお世話の

 

仕方がとても荒く自分が楽な方法で介護をするので、介護される人は

 

たまったものではありません。

 

先輩が見ている時はそれなりの介護をしますが、いなくなると手を抜きます。

 

ある時、掃除のおばさんがある男性のお部屋の掃除をしようとしたところ、

 

その男性はいつもと様子が違っていました。

 

彼は認知症でしたが、毎日お部屋を掃除する掃除のおばさんは

 

彼のことをよく見ていて、いつもの様子は知っていました。

 

普段はおとなしく穏やかな性格の人でした。

 

でもその時彼は、いつもとは違って何かに怯えているようでした。

 

掃除のおばさんはどうしたのかと聞いてみると、いつもは認知症のせいか

 

ハッキリしゃべらないその男性が、「昨日殴られた」と頬を指さしました。

 

見ると顔が少し腫れているのがわかりました。

 

毎日お年寄りのことをよく観察しているから気付いたのでした。

 

掃除のおばさんはすぐに施設長に知らせ、施設長は昨日夜勤だった先ほどの

 

介護士を呼び出しました。

 

施設長とふたりきりで話したところ、介護士はいつも言うことを聞かない

 

男性に腹が立ってその男性の頬を殴ったそうです。

 

そして、そうせざるを得なかった理由を施設長に話し、自分の正当性を

 

主張したようです。

 

すると施設長は「昨日男性を殴ったのと同じように私の頬を殴りなさい」と

 

言って、自分の頬を介護士の前に突き出したそうです。

 

すると彼は、うつむいたまま施設長に謝り、結局、退職することになりました。

 

どんな理由があってもお年寄りに暴力を振うことは許されません。

 

僕はそれを聞いて、いくら認知症の人でも、ひどい目に会うと恐怖で心が

 

震えてハッキリそれを伝えるんだと思いました。

 

僕が掃除のおばさんに「よくやったね」と褒めると、彼女は「私は彼の心も

 

お掃除してあげたかったのよ」と言って笑いました。

 

彼女の仕事はお部屋の掃除だけではなく、人の心も掃除するんですね。

 

お年寄りと心が繋がる仕事って素晴らしいですね。