心の決算書

 

おはようございます。

 

僕のお店の事務所には、経理、総務、商品管理の3人の女性が働いています。

 

お店の人たちが販売に力を注げるのも、このスタッフのおかげです。

 

感謝しなければなりませんね。

 

しかし、その中でも、僕は経理の女性とは意見が合わないことがあります。

 

僕と彼女は仕事の優先順位に大きな違いがあります。

 

僕はお客さんへの対応を最優先と考えていますが、彼女はいつも

 

数字との戦いに明け暮れているようです。

 

僕が経費の申請をすると、「今日はもう締め切り時間が過ぎました、

 

明日にして下さい」と言うんです。

 

時には彼女には柔軟な対応を求めると、「売場の人のように時間に

 

ルーズではダメ」と言います。

 

僕は頭に来てしまい、「お客さん相手に計算通りに仕事は進められない」

 

と言うと、「経理の仕事は大変なのよ、代わってみる?」と言い返されました。

 

僕は「計算通りにいく経理の仕事なんて楽なもんだよ」と反論しました。

 

すると彼女は「あなたの仕事は計算が合わない時はお客さんに

 

お詫びをして帳尻を合わせるんでしょ」と、お肉屋さんで働く僕を

 

見下してきつい言葉を投げかけました。

 

ふたりのやり取りを聞いて周りの人たちは笑っていました。

 

ところで、僕が働く会社は2月が決算です。

 

毎年決算が近づくと、彼女はとても忙しくなります。

 

僕が少し冗談交じりに、「毎日きちんと仕事をしてないから決算が

 

近づくと慌てるんだよ」と言うと、彼女は僕を睨みつけました。

 

彼女は前年の決算書を見せ、「できるならこれを作ってみなさい」と差し出し

 

その表情には軽蔑の笑みがありました。

 

それを見た僕は、会計用語や数字がたくさん並んでいて、決算書が何を

 

意味しているのかまったく分かりませんでした。

 

彼女はこれ見よがしに笑いました。

 

彼女にそんなことを言われた僕は悔しくて、決算書の作り方の本を

 

買って勉強しました。

 

決算書の勉強を始めると、決算書の数字は冷たくてまったく人情味のない

 

ものであると感じました。

 

もし僕が経理の仕事をするなら、お金の代わりに愛の流れを帳簿に記録し、

 

1年間の愛の動きで決算書を作りたいと思いました。

 

 

貸借対照表を作ってみました。

 

まず資産の部です。

 

流動資産には心が動く人情味、固定資産には揺るぎない信頼の数字を

 

入れました。

 

これは、周りの人々との絆を強化することで内面的な豊かさを

 

感じることができると思います。

 

 

次に負債の部です。

 

流動負債には揺れ動く負の感情、固定負債には長く残る心の傷の

 

深さを数字で表しました。

 

これらは過去の困難に直面したり、将来への不安から生じる

 

ことがあります。

 

そして、資本には今まで貯えてきた幸せの大きさを数字で表現しました。

 

気をつけましょう、負債が大きすぎると債務超過になり、幸せは消えて

 

不幸になってしまいます。

 

 

次に損益計算書です。

 

売上高には1年間の人に尽くすことで生み出した愛の数を入れます。

 

費用は1年間に流した汗と涙の数を入れます。

 

その差額が利益となり、幸せに変わります。

 

幸せは、周りの人との人間関係を築き、意義ある人生の中から

 

得られるものかも知れません。

 

 

最後にキャッシュ・フロー計算書で愛の行方を追跡し、愛が増えたか

 

減ったかを確認します。

 

愛はお金以上に貴重な資産であり、心の健康に直接影響を与えます。

 

愛を大切にし、他人や自分自身に対して思いやりを持つことが

 

重要なのかもしれません。

 

 

まだまだ勉強不足ですが、心の決算書を作ることで、愛の積み重ねが

 

幸せへと繋がることが分かりました。

 

 

完成した決算書を彼女に見せたら、「こんなもの、決算書じゃない」と怒って

 

その場で破り捨てるでしょうね。

 

でも、僕は食卓に幸せをという信念に基づいて、愛と誠実さを持って

 

仕事をしたいと思います。

 

いつもこんなブログで本当にごめんなさいね。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

誤解されることって、辛いですね

 

おはようございます。

 

一昨日、僕は仕事がお休みで、いつものように娘を連れて

 

公園で楽しく遊んで、家に帰ると奥さんがハンバーグを

 

作る準備をしていました。

 

既にボウルには挽肉と白菜とニラと調味料が入っていて、

 

こねて丸めるだけでした。

 

僕がこねて、娘とふたりで丸めました。

 

僕のハンバーグは大きくて丸く、娘のは小さくてハート形でした。

 

僕は人間関係を円滑に保つ気持ちが、娘は人にやさしい気持ちが、

 

それぞれのハンバーグに表れているようでした。

 

その日は楽しく充実した日でした。

 

ところが、その日はお店では大変なことが起こっていました。

 

翌日、お店が開店し、商品作りが一段落した頃、副店長が作業場に来て

 

話があるから研修室に来てくれと言うんです。

 

僕と副店長が研修室に行くと、そこには店長が座って待っていました。

 

席に着くと、テーブルの上には豚肉の薄切りのパックが置いてありました。

 

店長はそのパックを僕の前に差し出し、その中から、ビニールの

 

破片のような物を取り出しました。

 

昨日、お客さんからお肉の中にビニールが入っていたとクレームがあり、

 

回収したそうです。

 

僕は大変なことをしたと思い、胸が苦しくなりました。

 

店長から普段豚肉をスライスする時の状況を尋ねられました。

 

僕は冷蔵庫の中から真空パックになったお肉の塊を取り出し、

 

スライサーで加工してお店に出すまでの工程を説明しました。

 

説明が終わった時、ふとパックの日付けを見ると、そのお肉が

 

製造された日は僕がお休みの日でした。

 

僕のお休みの日は代わりに僕の部下が切るんです。

 

お休みだったので、それを作った時の状況は分かりません。

 

でも僕は精肉部門のリーダーです。

 

僕の指導が悪かったのです。

 

部下のせいにはしたくはありませんでした。

 

店長は昨日は大変で、カード情報からその商品を買った

 

お客さんにすべて連絡し、体調が悪くないかを確認し、

 

返金処理をしたそうです。

 

店長は「このようなことはお店の信用を台無しにしてしまう

 

重大なことだ」と強い口調で言いました。

 

そして、「お前の仕事のやり方はお客様の立場に向いていなくて、

 

自分の都合に合わせているんじゃないか?」と言うんです。

 

それ以外にも、僕が普段出来ていないことをたくさん指摘して

 

叱りました。

 

針のむしろとはこういうことなんでしょうか。

 

「こんないい加減な気持ちで働くのなら、よその部門に異動して

 

もらうよ」と言われました。

 

僕はお肉の仕事が好きで誇りを持っています。

 

とても悔しくて、泣きそうになりました。

 

店長は「今の気持ちはどうなんだ」と僕に聞いてきました。

 

僕は「お客様に迷惑をかけて反省しています。

 

今後、このようなことがないように気をつけます」と謝りました。

 

それを聞いた店長の表情は少し和らいだように見えました。

 

「でも、ひとこと言わせてください、僕はお客さんを軽視する気持ちは

 

まったくありません」と僕は伝えました。

 

そこで店長との話は終わりました。

 

副店長はその間ずっと黙ってふたりの話を聞いていました。

 

僕は売場に戻ってとても暗い気持ちで働きました。

 

しばらくして、副店長が「ちょっと来なさい」と僕をバックヤードに誘いました。

 

副店長はやさしい顔で「店長はきついことを言ったけど、気にするな、

 

あなたがどのような態度を示すのか知りたかったんだよ。」

 

と僕を慰めてくれました。

 

そして「いつも店長のそばで働いている私は店長の真意を知っている。

 

本当はあなたに期待しているんだよ、だからあんなにきついことを

 

言うんだよ」と言いました。

 

そして「さっきは言い過ぎだったと伝えてほしい」と言われたそうです。

 

それを聞いた僕は、店長って本当は人情味のある人だと思いました。

 

それからは店長との信頼感が深まった気がしました。

 

日常のことに深く感動する僕は、こんな事をみなさんに伝えたくて

 

つい書いてしまいます。

 

いつもこんなブログでごめんなさいね。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

娘への愛

 

おはようございます。

 

僕には小さい女の子がひとりいます。

 

仕事が終わって家に帰り、奥さんと娘と一緒に夕飯を食べる時が、

 

僕にとって心地よいひとときです。

 

忙しい一日の中で嫌なことを忘れ、心が寛ぐのです。

 

思い出すと、奥さんと結婚したばかりの頃、ふたりで

 

夕食を食べていた時、突然奥さんが「赤ちゃんができたみたい」

 

と言うんです。

 

それを聞いて、今までこの世に存在しなかった新しい生命が

 

誕生することについて、僕は不思議な感情を抱きました。

 

やがて奥さんのお腹が大きくなるにつれて、その実感が

 

湧いてきました。

 

ふたりで外出した時、階段などでは手をつないで彼女の

 

身を守ってあげるような優しい気持ちになりました。

 

出産の日、生まれてくる子供を見るために病院の待合室で

 

数時間過ごしました。

 

やがて看護師さんに呼ばれて、初めて娘の姿を見た瞬間、

 

驚きました。

 

僕が想像していた赤ちゃんとは違って、あまりにも小さくて、

 

手足の肌はしわしわでした。

 

それから成長し、目に入れても痛くないほど可愛くなりました。

 

花嫁の父親が結婚式の前日に「今まで長い間お世話になりました」

 

と娘に挨拶されて、涙が出る気持ちが分かるような気がします。

 

ちょうどその頃、異動で僕が別のお店に転勤した時のことです。

 

新しい環境に慣れるまでバタバタしましたが、1週間ほど過ぎた時、

 

バックヤードの通路でひとりのパートさんに声をかけられました。

 

「もう慣れましたか?これからよろしくお願いします」と笑顔で

 

挨拶してくれました。

 

随分気さくな人だなと思いました。

 

それから一か月くらい経って慣れた頃、青果部門の作業場に

 

入ることがありました。

 

僕に声をかけたパートさんはそこで働いていました。

 

彼女の様子を見ると少し変でした。

 

なんだか作業がぎごちないんです。

 

その瞬間、彼女の左手に指がないのに気付きました。

 

彼女はそれに対してはすごく敏感でした。

 

「ああ、この指?事故で切断したのよ」とあっけらかんとして言いました。

 

彼女の話では、彼女が20歳の頃、勤めていた食品工場で誤って指を

 

機械に挟まれたそうです。

 

その時の「痛い!!」という彼女の悲痛な叫びは工場全体に

 

響き渡ったようです。

 

すぐに病院に運ばれましたが、左手の親指と人差し指の骨が

 

粉々になってしまい、元には戻らなかったそうです。

 

彼女の両親は嫁入り前の娘の残酷な運命にひどく悲しんだそうです。

 

一生元に戻らない手を見て、彼女自身もとても辛い思いをしたそうです。

 

彼女は陰で泣きながらも、両親に心配をかけないように、ふたりの前では

 

気丈に振舞っていたそうです。

 

それを聞いて、もし僕の娘がそんなことになったら、辛くて

 

耐えられないと思いました。

 

しかし神様は彼女のことを見捨てませんでした。

 

彼女は「世の中には物好きな男性がいてね、私と結婚したいという

 

男性がいてね、私と結婚してくれたのよ」と冗談ぽく言いました。

 

子供さんもひとりいるそうです。

 

彼女が失った指よりも、得た幸せの方がはるかに大きいと感じました。

 

辛い試練を乗り越えた彼女に、僕は感動を覚えました。

 

それから僕は彼女に会う度に親しく会話をするようになりました。

 

一度失った人生を取り戻した彼女は、実に人情味があって、

 

誰にでもやさしいのです。

 

彼女は自分が苦しんだ分、人の心の痛みがわかるようで、

 

困った人には愛の手を差し伸べていました。

 

僕は彼女が大好きになり、彼女を尊敬するようになりました。

 

そんな彼女を見て、僕は娘を甘やかしすぎていたと感じました。

 

可愛い子には旅をさせよと言われますが、娘には人の心の痛みを

 

理解できる優しい人間に育てるのが僕の役割だと思うようになりました。

 

それが娘への愛であり、娘が本当の幸せを掴むための手助け

 

なのかもしれませんね。

 

 

娘よ、あなたは父さんに似て決して美人にはなれないけれど、

 

父さんは将来あなたを必ず心のべっぴんさんにしてあげるからね。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます

誠意とは何ですか?

 

おはようございます。

 

寒い日が続きますが、みなさんお元気ですか?

 

今回は心も寒くなるような過去の出来事です。

 

僕が仕事を終えて退社しようとしていた時、精肉部門にお客さんから

 

ある電話がかかりました。

 

その内容は、お客さんがお店で買ったすき焼き用のお肉のパックを

 

開けたところ、中に髪の毛が混じっていたというものでした。

 

僕はすぐに代りの商品とお詫びに、粗品のラップを持ってお客さんの

 

お家に向かいました。

 

既に日が暮れていて、お客さんのお家を見つけるのにはかなり

 

時間がかかりました。

 

玄関のドアを開けてもらうと、60歳くらいの男性が不愛想に立っていました。

 

そのお客さんは「電話してここに来るまでどれだけ時間がかかるんだ、

 

いつまで経ってもすき焼きが食べれないじゃないか」ととても機嫌を

 

損ねられていました。

 

僕はお詫びをし、代わりの商品とラップを渡して帰ろうとしましたが、

 

お客さんは「全然お詫びの気持ちが伝わってこない」と立腹し、

 

僕を引き止めました。

 

それを受け止めた僕は深々と頭を下げてお詫びしました。

 

しかし、その男性は「まったく誠意が感じられない」と言うんです。

 

「誠意とは何ですか?」と小さな声で尋ねると「そんなこと自分で考えろ」

 

けんもほろろでした。

 

そして、「出直してこい」と言われ、暗い気持ちでお客さん宅を出ました。

 

僕はその男性が言った誠意の意味が分かりませんでした。

 

お店に帰って、売り場にいた青果のリーダーに相談すると、

 

「そういう人には2万円くらい包んで持って行った方が

 

いいかもしれないよ」とアドバイスされました。

 

そんな事を言われても、毎月1万円のお小遣いしかもらっていない僕は、

 

2万円なんて大金出せるはずがありません。

 

預金残高を確認すると、そこには前日5千円振り込まれていました。

 

僕の親友に貸したお金が毎月5千円ずつ振り込まれるんです。

 

実はこれ、親友のお父さんのお葬式の際にお金が足りなくて、

 

僕が貸してあげたお金の返済でした。

 

僕の親友は非正規雇用でお金がなく、父親の葬式代が払えなかったのです。

 

それから彼は真面目に働き、「少しずつで申し訳ない」と言いながらも

 

月に5千円ずつでしたが毎月滞ることなく返し続けました。

 

僕は彼の生活を知っています。

 

月に5千円の返済がとても負担が大きいことを。

 

その時、僕は彼の姿勢にこれが誠意だと感じました。

 

翌日、お小遣いの範囲内でメロンを買って、再度お客さんのお家に行き、

 

「これが僕にできる精一杯の誠意です」と言ってメロンを渡し、

 

許してもらおうとしました。

 

するとお客さんは「誠意の意味を知っているのか、本当の誠意を見せろ」

 

と大声を発し、腹立たしい様子でした。

 

僕はその剣幕に怯え堪らず、土下座をしました。

 

しばらく無言の状態が続き、僕は不安でその時間がとても長く感じました。

 

しかし、お客さんは「まだまだ誠意は見られないが、今度から気をつけろ」

 

と言って僕を許してくれました。

 

彼は僕にこれ以上の誠意を求めても無駄だとわかったんでしょうね。

 

後から知ったことですが、その家はとてもお金持ちで、

 

金品が欲しいのではなく、僕の誠意の本気度を試したかったようです。

 

以前、このお客さんにクレーム対応した社員から聞きました。

 

彼は本当は僕に土下座など求めているのではなく、心からの

 

お詫びを求めているようでした。

 

最初に訪問した時の僕の態度と安易にメロンで許してもらおうとした

 

根性が気に入らなかったんでしょうね。

 

彼は人として道理にかなった対応を望んでいたようです。

 

それからはこのような場合、店長と一緒に謝ることにしました。

 

僕一人よりもそのほうが3倍くらい誠意が伝わるんです。

 

今思い出すと辛い瞬間でしたが、そのお客さんとの出会いに感謝しています。

 

こうして僕はお客さんによって成長し、教えられることがあるんだと

 

実感しました。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

長生きの秘訣

 

おはようございます。

 

今回は、僕が老人ホームで働いていた時のお話です。

 

介護の業務の基本には、食事・入浴・排泄の3つの介助があります。

 

特に心を込めて行ったのは、入浴介助でした。

 

家庭ではお風呂は夜に入ることが多いと思いますが、老人ホームでは

 

夜はシフトの関係で人員が少く、ほとんどの入浴は日中に行われます。

 

ある日、僕は入居したばかりの89歳の男性の入浴介助を担当しました。

 

お風呂では転倒や浴槽で溺れるなどの事故が発生する可能性が

 

あるため、特に慎重でした。

 

裸になった入居者さんの体を見て、異常が無いかを確認するのも仕事です。

 

背中を洗う時、そこには彼の人生の長さと重みを感じました。

 

足の指を開いてその間を洗ってあげると、とても気持ちよさそうでした。

 

そして、温かいお湯に浸かりながら見せる幸せそうな表情に、

 

僕は介護の仕事を選んで良かったと心から感じました。

 

入浴介助が終わってリビングに戻り、水分補給のために

 

冷たいお茶を用意しました。

 

彼は美味しそうに飲んで、僕に話しかけました。

 

「こうやってお風呂に入れるのはあなたたちのお陰です、ありがとう」

 

と感謝の言葉をかけてくれました。

 

彼は誠実であり、その人柄に好感を抱きました。

 

足腰が少し弱っていて介護が必要ですが、89歳の年齢でありながら

 

元気な様子には驚きました。

 

数日後、僕は彼に「いつまでも健康で生き生きと暮らす秘訣は

 

なんですか?」と尋ねると、彼はなんでも美味しく食べることと、

 

ここに入居する少し前は健康だったので毎日ウォーキングをし、

 

自然との触れ合いを楽しんでいたと教えてくれました。

 

でも、彼が若かった頃は医療技術も発達していなく、食べ物にも不自由で

 

ここまで生きられると思わなかったようです。

 

彼はひとりでは生きられないので、多くの人に助けてもらいながら

 

ここまで生きてきたそうです。

 

先のことを考える余裕もなく、その日一日を大切に生きることで幸せを

 

感じていたようです。

 

今振り返ると、あっという間の人生だったそうです。

 

彼は最近の若い人に対して心を痛めていました。

 

仕事や人間関係で悩み、それらのストレスで心が病んでいるし、

 

数十年先の老後のことまで心配し、今の生活に悩んでいる人が多い。

 

満ち足りた生活なのに幸せを感じないまま、苦しみながら長い人生を

 

生き抜くことを考えている。

 

そんな人生なら長く生きても何の意味もないと思ったそうです。

 

「でも、今の若い人でも幸せに長生きできることがある、なんだと思う?」

 

と僕に言った時、彼の息子さん夫婦とお孫さんの3人が彼に面会に来ました。

 

その日は彼の90歳の誕生日ということで、ケーキを持ってお祝いに

 

来たようです。

 

それを知ったスタッフは全員で彼の誕生日を祝福しました。

 

僕はみなさんに心を込めてコーヒーを作って差し上げました。

 

彼は家族に囲まれながら楽しいひと時を過ごしました。

 

大切にされた彼はとても嬉しそうでした。

 

僕はそれを見て、彼の言いたいことが分かりました。

 

家族が帰った後、僕は彼に「先ほど言いかけたのは愛を持つことですね」

 

と言うと、彼はにっこり笑って頷きました。

 

そのときの彼の表情には幸せが満ちていました。

 

食べ物や運動も大切ですが、人が幸せに長生きするためには、

 

人を愛し愛されることが大切だと分かりました。

 

僕は彼に、生きることの意味を教えてもらった瞬間でした。

 

長く生きるのが人生の目的ではなく、いかに生きるのかが重要なんですね。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

警察が怖い

 

おはようございます。

 

僕の働いているスーパーには毎日1000人以上のお客さんが

 

来店し、ありがたく思います。

 

特に雨の日にわざわざお店に買い物に来ていただくのは

 

とても感謝しています。

 

でも、困ったことがあるんです。

 

小雨の場合、または雨が止んだ時、買い物に夢中になって

 

傘を忘れて帰るお客さんがいるんです。

 

忘れ物で一番多いのが傘で、そのほかには小銭入れとかハンカチなどです。

 

僕のお店では、週に一度、忘れ物や落とし物を警察に届けています。

 

いつもは副店長が警察に行くんですが、この前初めて僕が行きました。

 

実は僕は今まで警察署に行ったことがほとんどないんです。

 

お店の近くに交番があるのですが、警察官が不在の時が多いそうなので、

 

時間がかかっても少し遠くの警察署に行きました。

 

実は僕、警察が怖いんです。

 

恐る恐る警察署の中に入りました。

 

入った瞬間、僕が驚いたのは、署内で働く多くの人は制服ではなく、

 

スーツやワイシャツ姿でした。

 

でも、交番と違って警察署は大勢の人が働いていて、落ち着きません。

 

見張られているような気がして、少しでも挙動不審な態度を見せたら、

 

逮捕されそうです。

 

拾得物の窓口を探していると、不審に思ったのか一人の男性が

 

「どうしたんですか?」と声をかけてきました。

 

一瞬ドキッとしましたが、僕は冷静なふりをして「落とし物を

 

届けに来たんです」と答えると、親切に案内してくれました。

 

届け出の処理が終わって外に出ると、僕はほっとしました。

 

僕は警察が大嫌いなんです。

 

話は変わりますが、僕は社会人になったばかりの頃、運転免許を

 

持っていてもお金がなく車が買えませんでした。

 

ある時、車を買ったばかりの同僚が僕をドライブに誘いました。

 

夜の田舎道を走っていた時、同僚が「少し運転してみない?」と僕に言いました。

 

僕はその時、免許証を家に置いていたので断りました。

 

彼は「こんな田舎道、対向車もいないから大丈夫だよ」と言うんです。

 

僕は悪いとは思いながら運転してみたくなり、久しぶりの運転なので、

 

時速30~40キロでのろのろ運転をしました。

 

運転していると、僕の車の後ろから一台の車がずっと

 

ついてくるのに気がつきました。

 

僕は気味が悪くなって、追い抜いてもらおうと思い空き地に

 

車を停めました。

 

するとついて来た車が僕の車の前に停止したんです。

 

僕は何か嫌な気がしました。

 

すると車から警察官が降りてきて、「免許証を見せてください」と紳士的に

 

車の窓の外から言うんです。

 

ついてきたのはパトカーでした。

 

運転を勧めた同僚は自分が悪いと言わんばかり、彼の免許証を

 

警察官に見せました。

 

すると警察官は「あなたのじゃない、運転者の免許証です」と言いました。

 

僕は正直に「免許証は家にあります」と答えました。

 

すると今まで紳士的だった警察官は態度がガラッと変わり、

 

僕は犯罪者のようにパトカーに連れ込まれました。

 

そのときパトカーに乗ったのは初めての経験でした。

 

警察官は「名前と住所を言いなさい」と命令口調でした。

 

僕はひどいショックでした。

 

免許証を忘れてきただけなのに、悪人扱いでした。

 

本部に連絡して住所と名前のほか写真の照合でしょうか、

 

僕の顔の特徴を伝えていました。

 

僕は情けなくて涙が出そうでした。

 

救いだったのは、僕のことをお人好しのタイプだと報告してくれたんです。

 

結局僕は免許証不携帯ということで反則切符を切られ、解放されました。

 

子供の頃よく言われた、「悪い子は警察に捕まるよ」が

 

本当になったんです。

 

同僚は反則金の半分を出してくれましたが、その時以来僕は警察が

 

怖くなったんです。

 

今でも道で警察官と出会うと逮捕されそうで、目をそらします。

 

なので僕は忘れ物を届けに警察に行く前に、事務所の人に、

 

「もし僕が警察から戻らなかったら逮捕されたと思ってください」

 

と言うとみんなが笑うんです。

 

僕の警察が怖いという気持ちは死ぬまで消えないでしょうね。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

最近疲れが出たので少し休憩します。

白衣が似合う人

 

おはようございます。

 

僕はテレビでサザエさんを見るのが大好きです。

 

観るのではなく、見るのが好きなんです。

 

音声だけでもいいし、テーマソングを聞くだけでもいいんです。

 

日曜日のあの時間になると、サザエさんの世界に浸ることで、

 

何かしら心の安らぎを感じるんです。

 

僕のブログもサザエさんのように、気楽に読んでいただければと思います。

 

では、始めたいと思います。

 

先日、僕がお肉の売場で商品を出していると、小学生の男の子が

 

僕に近づいて、「おっちゃん、餃子の皮はどこ?」と尋ねました。

 

僕は今までスーパーに入ってお客さんから「おっちゃん」

 

と呼ばれたのは初めてでした。

 

ほとんどのお客さんは「スイマセン、餃子はどこですか?」と尋ねます。

 

いくら小学生であっても、一生懸命働いている大人に「おっちゃん」は

 

ないでしょう。

 

僕は少しプライドを傷つけられた気持ちになりました。

 

馴れ馴れしいと感じつつも、お客さんは大切に扱わなければなりません。

 

僕は男の子を挽肉コーナーに案内しました。

 

そこには大・中・小の餃子の皮がありました。

 

「おっちゃん、母さんから餃子の皮を買ってきてと頼まれたんだけど

 

どれがいいの?」と聞くんです。

 

そんなことを言われても僕は困りました。

 

この子が餃子を食べるシーンを頭に描き、「餃子を食べる時、

 

一口で食べる、それとも二口で食べる?」と聞きました。

 

するとその子は一口で食べると答えたので、食べやすいように

 

小さい皮を勧めました。

 

その子は納得した様子で「おっちゃんありがとう」と言って

 

小さい皮を買って帰りました。

 

その瞬間、僕は考え込みました。

 

僕はいつもお店では、作業しやすいように白衣を着ています。

 

清潔な白衣を着るようにしていますが、それでも銀行員さんなどのように

 

スーツを着た人とはイメージが違うのかもしれませんね。

 

話は変わりますが、僕は時折、朝はお店で仕事をし、

 

午後から本社に行くことがあるんです。

 

その時は白衣からスーツに着替えて本社に行きます。

 

スーツを着ると気が引き締まるような気がします。

 

出かける前に、スーツ姿で事務所に入ると、みんなが「別人みたい、

 

立派に見える、スーツがよく似合うね」と言いました。

 

本当は僕はお肉屋さんの白衣より、銀行員さんのようなスーツを

 

着て働く方が似合っているのかもしれないと思いました。

 

僕が気分よくしていると、店長が、「おっ、スーツを着ると少しは

 

まともな人間に見えるな。

 

お前がスーツを着て立派に見えるのは中身が乏しいからだよ。

 

中身のある人はどんな服を着ても立派に見えるんだよ」

 

と言い、僕は少し胸が痛むものがありました。

 

本社に行くと、白衣で働くお店とはまったく雰囲気が違って、

 

みんなスーツ姿で立派に見えました。

 

僕のように出来の悪さをスーツで隠しているのと違って、本社で

 

働く人は責任感があって、本当にスーツが似合っていると感じました。

 

一方で、実業家であり人気タレントの〇〇〇モンさんっていつも

 

Tシャツを着ていますが、中身があって立派な人だと感じます。

 

あの人がどんなに高級なスーツを着ても、中身と比較して

 

スーツが安っぽく見えてしまうかもしれませんね。

 

実力のある人は服装でごまかすのではなく、自分の能力に

 

自信を持っているからなのでしょうね。

 

服装には関係なく、大切なのは中身ですね。

 

もしかしたら、あの時僕を「おっちゃん」と呼んだ子は

 

僕の中身の乏しさを見抜いていたのかもしれませんね。

 

お肉屋さんも誇りが持てる立派な仕事なんですが、白衣を着ることで、

 

僕は自分を卑下していたのかもしれません。

 

スーツを着なくても、立派な人間になるためには中身を大切にし、

 

立派なお肉屋さんとして白衣が一番似合う人と言われるように

 

頑張りたいと思います。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。