お金って大切ですね

 

おはようございます。

 

少し感じることがあったので、先日のお休みの時のことを書いてみます。

 

その前に、僕はとても質素な生活をしています。

 

以前は介護職で働いていましたが、現在はスーパーの精肉部門で働いています。

 

給料が少なかったため、貯金はほとんどありません。

 

毎月、僕は奥さんから1万円お小遣いをもらっていますが、

 

この物価高の中でお小遣いを節約することはなかなか厳しいです。

 

お金持ちには縁がない僕ですが、秋になり、お天気もよかったので、

 

久しぶりにお昼前に静かな郊外でウォーキングを楽しむことにしました。

 

その日は給料日前で、財布の中には600円しか入っていませんでした。

 

でも、財布の中身と違って、のどかな風景を見ながらのんびり歩くことは、

 

心に豊かさと幸せをもたらしてくれました。

 

お金なんかなくても、幸せを感じることができるんだと僕は心の中で

 

つぶやきました。

 

1時間ほど歩いたでしょうか、前方に牛丼屋さんが現れました。

 

お店の前に掲げられたのぼり旗には、「今なら肉だく(牛小鉢)100円」

 

と書かれていました。

 

僕は通常の肉だくがいくらなのか知りませんでしたが、

 

牛丼の並みが税込みで468円、肉だくが税込み110円なので、

 

僕が持っている600円で食べられると計算しました。

 

お昼すぎまでウォーキングをしたのでお腹がペコペコでした。

 

僕はお店に入り、一番奥のカウンター席が空いていたので

 

そこに座り、店員さんに迷わず牛丼の並みと肉だくを注文しました。

 

1分も経たないうちに、注文の品が運ばれてきました。

 

僕は紅ショウガが大好きなので、牛丼の上に山盛りかけて食べました。

 

半分くらい食べたとき、目の前に置いてある伝票に目が留まりました。

 

見ると驚きました。

 

その伝票には牛丼468円、肉だく195円、合計663円と記載されていました。

 

一瞬、箸が止まりました。

 

お店の外ののぼり旗には肉だく100円と書いてあったのに、

 

僕は見間違えたのかと疑いました。

 

僕は慌てて財布の中身を確認しましたが、やはり600円しか入っていません。

 

まだ半分しか食べていないので、代金を半分にしてとは言えません。

 

気の弱い僕はどうしようかと思いながら残り半分をゆっくり食べましたが、

 

不安でまったく牛丼の美味しさは味わえませんでした。

 

食べ物屋さんでお金が足りなかったのは初めての経験でした。

 

後から入ってきた人たちは食べ終えてどんどん先にお勘定をして

 

お店を出ていきました。

 

ほとんどの人は伝票の金額などあまり気にせず、1万円札や千円札を

 

出してお釣りをもらっていました。

 

財布の中にもう100円入っていれば、こんな辛い思いはしなくて

 

すんだのに、と僕は後悔しました。

 

お店に入ってから20分以上経過していました。

 

これ以上お店にいるのは不自然でした。

 

店員さんはやさしい笑顔でお客さんに対応していましたが、それはきちんと

 

お金を払うお客さんに対してであって、僕はその対象外でしょう。

 

不安と恥ずかしさの中、僕はお客さんが少なくなった瞬間を見計らって、

 

恐る恐る伝票を持ってレジに行きました。

 

僕は店員さんに正直に、「肉だくは100円だと思ったのでお金が足りません」

 

と蚊の鳴くような声で謝り、600円を出しました。

 

気の弱い僕は、無銭飲食で警察に通報されるのかと覚悟しました。

 

すると、店員さんは「肉だくの代金はレジで引きますので、合計578円です」

 

と平気な顔で言うんです。

 

だったら最初から伝票に578円と記載すればいいのにと心の中で叫びました。

 

僕は安心して拍子抜けしたのか、お釣りをもらった後、お店の出口を

 

間違えてトイレの方に行き、後戻りして外に出てしまう有様でした。

 

その日の出来事から、お金があれば必ずしも幸せになるとは

 

限らないかもしれないけれど、お金があれば不幸にならない

 

こともあると痛感しました。

 

お金って大切ですね。(涙)

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

強い人

 

おはようございます。

 

若い頃の僕はとても弱い人間でした。(今でもそうですが)

 

社会人になったとき、自分の力でこの世の中を変えてやろう

 

というような気持ちは微塵もなく、その責任の重さに、

 

ずっと子供のままでいたいと思っていました。

 

でも、なったものは仕方がありません。

 

強く生きていかなければなりませんでした。

 

僕は強い人に憧れていました。

 

その頃、僕が働いていた老人ホームでは、一つのフロアが2つのグループに

 

別れて入居者さんのお世話をしていました。

 

日中は別の場所でそれぞれ数人が働き、夜になると夜勤が

 

一人で両方の入居者さんを見守るシフトでした。

 

なので、仕事場所が分かれていても、事務室は共用で、2つのグループの

 

交流がありました。

 

僕は女性リーダーのもとで働き、もう一つのグループのリーダーは男性でした。

 

僕は男性リーダーの指導力や的確な指示、優れた判断力に魅力を感じました。

 

彼はスタッフに、「今日の午後2時からはAさん、Bさん、Cさんが入浴です。

 

その間にお部屋のシーツ交換をお願いします。それが終わったら、

 

入居者さんの衣服の洗濯をして、夕食までにはフロアの掃除をお願いします」

 

とテキパキ指示していました。

 

そんな彼の仕事ぶりを見ながら、将来、僕は彼のような強いリーダーシップを

 

持つ人になりたいと思いました。

 

一方、僕のリーダーは彼のようにスタッフを引っ張るのではなく、

 

事前にはっきりとした指示を出さないんです。

 

計画性がないというか、実に大まかな指示で、その場になってから

 

細かい指示を出すんです。

 

でも、その指示はとても厳しいのです。

 

だったら最初から明確な指示を出せばいいのに、といつも思っていました。

 

強い人間に憧れていた僕は、リーダーシップのない彼女を見て、

 

自分がリーダーになっても同じようにはなりたくないと思いました。

 

そんな理由で、僕はこんなリーダーの下で働くのは嫌で、

 

男性リーダーの下で働くスタッフを見習って仕事をするようになりました。

 

仕事の段取りを覚えた僕は、リーダーが指示をする前に自発的に

 

仕事を進めるようになりました。

 

すると無駄な仕事?がなくなり、仕事が効率的になりました。

 

ある日、リーダーは僕を事務室に呼びました。

 

彼女は「どうして私が指示する前に自分から仕事を進めるの?」

 

と僕を叱りました。

 

僕は彼女に「僕は強い人間になりたいんです。将来リーダーに

 

なったら、今のあなたのような優柔不断な仕事のやり方では、

 

僕は弱い人間のままです」と言い返しました。

 

リーダーが女性だったので言いやすかったのかもしれませんね。

 

そして、「隣の男性リーダーは強い人間で、仕事が合理的で

 

責任感がある」と続けました。

 

若気の至りですね。

 

すると、彼女は「本当の強さって知っているの?」と僕に問いかけました。

 

僕は勢いに任せて「この厳しい社会で生きていくためには、

 

強くならなければならないんです」とリーダーに答えました。

 

すると、彼女は「今のあなたを見ていると、私の若い頃を思い出します。

 

私も強い人間になろうと頑張った。でも、その結果、敵ばかり

 

作ってしまったの」と懐かしそうに言いました。

 

そして続けて、「多くの人を敵に回し、一人ぼっちになった私は考えました。

 

いくら強くなっても、それは何の意味もないことが分かったの。

 

そして、本当に強い人って、人の気持ちを理解することができる

 

人だと気づいたの」そう言って彼女は事務室を出ました。

 

彼女の仕事を見ていると、細かな計画よりも入居者さんのその日の

 

体調や心に気を配り、やさしく柔軟に対応しているのが分かりました。

 

男性リーダーは仕事の効率を優先し、彼女は入居者さんの生活を

 

優先していたのです。

 

僕は彼女の話を聞いて、本当に強い人間とは、苦しみを乗り越え

 

やさしさを身につけ、人の心の痛みを感じ取れる人だと思いました。

 

彼女がお世話をする入居者さんの幸せそうな顔を見ると、

 

彼女が言う本当の強さの意味が分かりました。

 

僕がなりたかった強い人、実は僕の一番近いところにいたのです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

           しばらくお休みします。

悲しい恩返し

 

おはようございます。

 

この前のお休みの日、買い物をしてクルマで家に帰る途中のことです。

 

信号待ちをしていると、一人のお年寄りの女性が僕のクルマの前の

 

横断歩道を渡ろうとしていました。

 

しかし、彼女はなぜか僕のクルマの前で立ち止まり、不安そうに周りを

 

見回していました。

 

信号が青に変わりましたが、彼女が立ち止まっているので

 

前に進むことができません。

 

後ろには他の車がいなかったので、しばらく待ってみることにしました。

 

すると突然、彼女は歩き出し、歩道に到着しました。

 

僕は彼女の様子がおかしいと思い、クルマを安全な場所に停めて、

 

彼女のところへ行って声をかけました。

 

僕は彼女に「危ないですよ、早く渡らないと歩行者信号は赤に

 

なっていたんですよ」と注意しました。

 

すると彼女はきょとんとしてまるで他人事のようでした。

 

僕は彼女に、その時何をしようとしていたのか気になって尋ねました。

 

彼女は「病気のお爺さんのお見舞いに行こうとしたら、病院が

 

どこだか分からなくなったの」と困ったように答えました。

 

そして「お爺さんが待っているの、今日はお爺さんが大好物の梨を

 

食べさせてあげようと持ってきたの」と袋に入った梨を見せました。

 

それは大きな梨で、二人で半分ずつ食べるそうです。

 

僕は彼女に病院の名前を聞きましたが、彼女は思い出せませんでした。

 

もしそれが分かれば、彼女をその病院まで案内するつもりでした。

 

僕はどうしようかと困りましたが、彼女の服の裾にバッジが

 

ついているのを見つけました。

 

そこには彼女の名前と電話番号が書いてありました。

 

僕はきっとこの人は認知症で外を徘徊していたのだと思いました。

 

僕はその電話番号に連絡しました。

 

幸い、家族の人がすぐに迎えに来きました。

 

「お婆ちゃん、どこへ行っていたのか心配していたのよ」

 

と娘さんらしい人が彼女を叱りました。

 

僕が事情を説明すると、「ごめんなさい、この人は頭がぼけてしまって

 

いつも人に迷惑をかけてしまうんです」と謝りました。

 

近くには彼女のご主人の入院している病院などはなく、

 

ご主人は2年前に亡くなったそうです。

 

僕はお婆さんにご主人がどんな人だったのか聞いてみました。

 

実は、彼女は数年前、コロナが流行する前のことでしたが、胸の病気で

 

長い間入院していたそうです。

 

彼女のご主人は彼女のことを心配して、一日も欠かさず病院に

 

お見舞いに来たそうです。

 

彼女はご主人の顔を毎日見ることで不安が消え、とても安心したそうです。

 

そんなご主人の気遣いに、彼女は嬉しくて涙が止まらなかったそうです。

 

そして、彼女はご主人のやさしい気持ちに支えられ、病気を克服し、

 

元気になれたのはご主人のおかげだと感謝したそうです。

 

その続きは彼女の娘さんが話してくれました。

 

その後、ご主人は癌で亡くなりましたが、その頃はコロナが

 

流行していたため、彼女はご主人のお見舞いに行きたくても

 

行けませんでした。

 

今度は自分がお見舞いに行くことがご主人への恩返しだと思って

 

いたのにそれができない彼女は悔やんだようです。

 

ご主人に会いたくても会えない彼女は、涙ながらにコロナを恨みました。

 

ご主人が亡くなってからは悲しみの中で彼女は認知症が進行し、

 

今では一人で外出させることはできなくなったそうです。

 

でも困ったことに、時々彼女は家族の隙を見て外を徘徊するそうです。

 

この二人の話を聞いて、僕は深く考えさせられました。

 

ご主人との思い出は彼女の頭の中ではなく、心の中に

 

深く刻まれているのでしょう。

 

なので、今でも彼女はご主人が病院で待っていると思い、

 

徘徊するのでしょうね。

 

彼女の心の中では今でもご主人は生き続けているようです。

 

僕は家に連れて行かれる彼女を見ながら、彼女が認知症になっても、

 

ご主人への愛を決して忘れることはないんだなと思いました。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

なりたてほやほや管理職

 

おはようございます。

 

今回は会社の悪口を書きます。

 

もう3か月前のことですが、僕がお昼ご飯を終えて休憩室に入った時、

 

青果のリーダーがすでに休憩していました。

 

彼は僕に近づいてきて「お金があればこんな会社、すぐに辞めたい。

 

辛いことばかりだよ」と、共感を求めてきました。

 

僕は「どうしたの?」と尋ねると、彼はここの副店長が理不尽なこと

 

ばかり言うので、腹が立って仕方がないそうです。

 

でも、家族を養うためには仕事を辞めるわけにはいかないという

 

苦しい気持ちも抱えていたようです。

 

実は、僕も彼と同じような感情を持っていて、彼の言葉に共感し、

 

救われる思いでした。

 

この副店長は、今年の春の人事異動でこのお店に異動してきた

 

新たな上司でした。

 

それまでは別のお店で鮮魚部門のリーダーをしていました。

 

副店長は僕より年下でしたが、中途入社の僕よりも社歴が長く、

 

僕は年下の上司を迎えることとなりました。

 

その頃はお花見シーズンでした。

 

僕は副店長に「おはようございます。もうお花見に行かれましたか?

 

今が見頃ですよ」と挨拶しました。

 

すると、副店長は「そんなことはどうでもいい。開店準備を急いでください。

 

今日はお花見需要で朝から忙しいんですよ」と冷たい返事でした。

 

管理職になったばかりの副店長は気合が入っていて、とても仕事に

 

厳しく、甘えや手抜きを許しませんでした。

 

年下であることと、副店長があまりにも厳しいので、時折僕は

 

彼に反論することもありました。

 

しかし、反論すればさらに仕事が増えてしまい、黙って従うしか

 

ありませんでした。

 

彼の仕事には人情味や温かさが感じられず、僕の接し方が誤って

 

いたことに気づきました。

 

副店長の指示はとても細かく、売り場における注意事項だけでなく、

 

バックヤードの整理整頓、部下の教育、作業指示など広い範囲に及びました。

 

仕事が終わって帰ろうとすると、副店長が僕を事務所に呼び寄せ、

 

毎日のように、仕事のミスや手抜きを厳しく指摘し、改善を求めました。

 

年上からの叱責はまだしも、年下からのそれは屈辱感を覚え、

 

耐えられないものでした。

 

そんな日が続くと、僕は次第に会社に行くのが嫌になりました。

 

救いだったのは、僕が副店長からの指摘を受けながらトレー置き場の

 

整理をしている時、一人のパートさんが「いつも副店長から何かと

 

注意されて大変ですね」と言って手を貸してくれました。

 

僕の気持ちが分かっているんですね、とても嬉しく思いました。

 

青果のリーダーとの話から数日後、僕が事務所で仕事をしてると、

 

店長と副店長が仕事について話し合っていました。

 

気づかれないようにこっそりその会話を聞き、その内容に僕は驚きました。

 

店長からの副店長への指示は、副店長がいつも僕たちにするのと

 

全く同じものでした。

 

この瞬間、僕は副店長は上からの指示を伝えるだけで、彼には

 

自分の意志はないのかと心の中で笑いました。

 

副店長もまた、仕事の不手際を指摘され指導力がない、と僕と同じように

 

店長から叱られていました。

 

店長から叱責され、部下からは嫌われる中間管理職って

 

辛いもんだなと僕は痛感しました。

 

その後、事務所を出た副店長にバックヤードで出くわしました。

 

その瞬間、僕は以前にパートさんが手伝ってくれた時のことを

 

思い出しました。

 

僕はパートさんのように優しくはありませんが、少し言葉を変えて

 

「副店長、慣れない仕事は大変ですね、でも、いつも僕は感心して

 

いるんですよ、その仕事ぶりならすぐに店長になれますよ」と煽てると、

 

彼は嬉しかったようで、一瞬だけ顔の表情が緩みました。

 

それを見て僕は、彼のことを単純な人間だと理解しました。

 

それからは、僕は副店長に何を言われても気にしなくなり、

 

心の中で「あっかんべー」と思いながらも忠誠を示す演技をしました。

 

僕は彼から学んだ唯一のことは、サラリーマン人生の処世術でした。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

世界一甘いチョコレート

 

おはようございます。

 

先日は敬老の日でしたね。

 

この日、僕のお店でも多くのお客さんが訪れ、中にはお爺さんや

 

お婆さんたちが元気にショッピングを楽しんでいる姿を見かけました。

 

「お爺さん、今日は敬老の日よ、どんなご馳走が食べたい?」と家族に

 

聞かれ、幸せそうに笑顔を見せる方もいました。

 

僕はその生き生きとした表情を見て、素晴らしいことだと思いました。

 

その時、僕が老人ホームで働いていた時のことを思い出しました。

 

そこには生きることに喜びを見出し、積極的に生活している男性がいました。

 

彼は老人ホームに入る前はひとりで農業をしていたそうですが、

 

畑仕事をしている最中気を失い、倒れていたところを近所の人に

 

発見され、辛くも命を取り留めたそうです。

 

その後、彼は老人ホームでの生活を余儀なくされました。

 

それまで、彼は大自然と共に暑さ寒さの季節の変化や多くの困難を

 

乗り越えながらも充実した生活を送っていたそうです。

 

しかし、施設の暮らしは彼の自由を奪い、失意の底に突き落としました。

 

彼はこのままここで死ぬまで暮らすのかと思うと辛くて希望を

 

持てなくなりました。

 

彼は施設での手厚い介護よりも、厳しくても自然の中で季節の風を

 

肌で感じ、自由に暮らしたかったのです。

 

彼は何もかもが無気力で、スタッフがお部屋のカーテンを開けても気分が

 

晴れず、何を食べても食事が楽しく感じられなかったそうです。

 

そんな生活が3か月ほど続いたある日のことです。

 

彼はいつものようにリビングで、テレビの番組を観るのではなく、

 

ぼんやりとその画面の動きを眺めていました。

 

すると、近くにいる男性の入居者さんに、家族が面会に来ました。

 

その中にはひ孫さんでしょうか、幼い女の子がいました。

 

可愛いらしいその子は家から持ってきたチョコレートをお爺さんに

 

食べてもらおうと渡しました。

 

老人ホームの中にあって幼い子の振る舞いは新鮮に感じます。

 

お爺さんはもらったチョコレートを美味しそうに食べました。

 

彼が興味深くその様子を見ていたところ、その子が近づいてきて

 

「お爺ちゃんも食べて、美味しいよ」と言ってチョコレートの

 

一片を彼にあげました。

 

彼は初めて会ったその子がチョコレートをくれるとは思っても

 

いなかったようです。

 

彼は驚きと喜びの表情で「私にくれるの?ありがとう」と言い、

 

もらったチョコレートを食べました。

 

「美味しい?」と見つめるその子の瞳に、彼は愛情を感じました。

 

そのチョコレートは今まで食べたことがないような甘さでした。

 

彼にとっては世界一甘いチョコレートだったのです。

 

なぜなら、まるで家族の一員のように接してくれたその子の気持ちが

 

最高に嬉しかったからです。

 

その瞬間、彼の凍った心に衝撃が走り、熱いものが流れました。

 

若くて小さな生命力が彼の枯れきった命を蘇らせたようです。

 

彼は生きることの素晴らしさと感動を思い出し、それまでの暗い

 

気持ちに別れを告げました。

 

彼は前と違って、自分からカーテンを開けてほしいと願うようになり、

 

外に咲く桜の美しさに感動し、今まで義務感で食べていた食事も

 

温かくて美味しく感じるようになりました。

 

介護スタッフにも感謝の気持ちを表すようになり、それからの彼は

 

施設内で最も陽気で笑顔が絶えない存在となりました。

 

彼は数年後に亡くなりましたが、生きる喜びを十分感じ取って

 

その生涯を終えたことは感慨深いものでした。

 

老いても希望と感謝の気持ちを持ち続けることで輝くようですね。

 

お年寄りたちが元気で買い物を楽しんでいる姿を見て、この人たちも

 

彼のように輝かしい人生を送ってほしいと願うばかりでした。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

反省することの大切さ

 

おはようございます。

 

僕は今、スーパーで働いていますが、その品揃えの多さは

 

お客さんにとって魅力的に感じるのでしょうね。

 

お肉の場合はそんなに種類は多くありませんが、お菓子や加工食品などの

 

コーナーに足を踏み入れると、今まで一度も味わったことのない商品が

 

たくさん並んでいます。

 

すべての商品を買って食べるのはいくらお金があっても足りませんね。

 

先月のある日のことでした。

 

僕が売場で商品出しをしている最中に、防犯係が一人の女性を連れて

 

バックヤードに向かいました。

 

これはたまに見かける光景で、万引き犯が捕まった瞬間でした。

 

僕は捕まえられた女性の顔を見て驚きました。

 

なぜなら、その女性はいつも来店するお客さんで、僕が「いらっしゃいませ」

 

と挨拶をすると目を合わせて親しみやすく微笑んでくれていました。

 

彼女は品行方正な印象を僕に与えていたので、その光景を見た瞬間、

 

自分の目を疑いました。

 

彼女はそんな人ではありません。

 

僕は何かの間違いであってほしいと願いました。

 

でも、意に反して彼女のしたことは許されない行動でした。

 

僕はその防犯係と今までほとんど話をすることはありませんでしたが、

 

万引き対応が終わった後、気になってその時のことを尋ねました。

 

僕は知りませんでしたが、彼女は以前にも万引きをして

 

捕まったことがあるそうです。

 

そのときは反省の意を示し、初めてということで万引きした商品の

 

代金を払ってもらって許したそうですが、

 

今回は2度目ということで警察を呼んだようです。

 

その女性も万引きが見つからなければ、社会的には善人と

 

見なされたかもしれません。

 

話は変わりますが、この世の中に悪いことをしたことがない人って

 

いるのでしょうか?

 

法律に違反する行為だけではなく、他人に迷惑をかけることも含めてです。

 

僕の周りの人に聞いても、一度も悪事を働いたことがないと自信をもって

 

言える人はいません。

 

世の中には聖人などいなくて、神様はすべての人の悪事を見て見ぬふりを

 

しているのかもしれませんね。

 

僕も自分の胸に手を当ててみました。

 

僕自身も他人に迷惑をかけたことがたくさんあるし、極悪な人間かもしれません。

 

例えば、ある時出勤日なのに休みと勘違いして遅くまで寝ていて、

 

会社から心配の電話がかかってきたこともあります。

 

僕は慌てて嘘をついて体調が悪いと言ってごまかしました。

 

嘘つきは泥棒の始まりですね。

 

その後遅れて出勤した際に、正直に休みの日を間違えて今まで

 

寝ていたと報告し、嘘を言ってごめんなさいと謝りました。

 

それからは反省して2度と遅刻をしないように心掛けています。

 

これ以外にもたくさんありますが、恥ずかしいのでここまでにします。

 

万引きの話に戻りますが、見つかれば犯罪で、見つからなければ

 

犯罪でないというのは、その時の運次第のように思えます。

 

肝心なのは、金額の大小や捕まったかどうかではなく、犯した罪に

 

対して深く反省し、その重みを胸に感じることだと思います。

 

法律に反して捕まった人が反省し、罪を悔い改める姿勢を見せれば、

 

刑罰も異なるものとなることもあります。

 

僕が思うに、一度でも悪いことをした人がずっと悪人ではなく、

 

それに気づきその反省と謝罪を通じて善人になることができると思います。

 

神様はすべての人に立ち直りの機会を与えてくれるのです。

 

一方で、悪事を繰り返し、反省しない人こそが本当の悪人だと思います。

 

人は誰しも過ちを犯すことがありますが、その経験から学び、変わることが

 

大切だと思います。

 

最近、彼女はこのお店に買い物に来なくなりましたが、今度こそ

 

本当の善人になることを願っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

お肉屋さんで働くこと

 

おはようございます。

 

今年の春に新入社員が僕のお店に入社しましたが、もう早くも

 

半年が経とうとしています。

 

入社直後、その中の一人の女性が僕が働く精肉部門に配属されました。

 

彼女はお肉を食べることはあっても、その仕事がどんなものか

 

全く知識がなく、学校を卒業したばかりの彼女は不安な

 

気持ちを抱えていました。

 

彼女は元々、入社前はきれいなお花や新鮮な果物や野菜を扱う青果部門を

 

希望していたようですが、実際には精肉部門に配属されました。

 

彼女は自分がお肉に関わる仕事をするようになるとは思っても

 

いなかったようです。

 

彼女が初めてこのお店で働くようになった時、冷蔵庫の中のお肉を見て

 

とても気持ち悪く感じたそうです。

 

それは、かつて生きていた動物が食材として使われることに、

 

残酷さと恐怖を感じたからだそうです。

 

彼女は冷蔵庫の中には屠殺された家畜の怨念が宿るように感じたそうです。

 

彼女の頭の中では、精肉部門での仕事は工場で製造されたお肉のパック商品を

 

お店に並べることだと思っていたようです。

 

まさか自分でお肉を切ったりスライスするとは予想外のことでした。

 

彼女は幼いころから母親に命の大切さを教えられて育ったため、

 

今の仕事に罪悪感を感じたそうです。

 

彼女は包丁でお肉を切るたびに心が痛みました。

 

彼女はこの仕事に誇りを持てなくなり、辞めたいと言ってきました。

 

僕は彼女にここを辞めてどんな仕事をしたいのか尋ねました。

 

すると、彼女は「介護の仕事なら人手不足でいくらでもあるので、

 

介護の仕事でもしようかと思っています」と小さな声で言いました。

 

彼女は冷たくなったお肉ではなく、温かい生身の人々の

 

お世話をしたいようでした。

 

僕はスーパーで働く前は老人ホームで介護の仕事をしていました。

 

僕は彼女に介護の仕事は思っているほど簡単な仕事ではないし、

 

介護の仕事でもしようかというような安易な気持ちでは絶対

 

続かないと厳しく助言しました。

 

介護の仕事は決して楽なものではありません。

 

入居者さんに喜んでもらうためには、それなりの覚悟が必要です。

 

僕は、老人ホームで自分の両親の介護をするような気持ちで

 

やさしく入居者さんのお世話をしていました。

 

言うのは簡単ですが、実は大変なことでした。

 

でも、僕の気持ちが伝わって入居者さんに喜んでもらった時が

 

一番うれしく思いました。

 

そのうち、最初の頃は元気な利用者さんもだんだん自分のことが自分で

 

できなくなり、最終的には永遠のお別れを迎えることになります。

 

人情味のある介護を大切にしていた僕は、多くの人との心の繋がりが

 

途切れるのが辛くて、介護の仕事を辞めました。

   

僕の今の仕事は、生きている人のお世話ではありませんが、

 

人のために食用として提供された動物の大切な命を幸せに変えることです。

 

食用の家畜は人に食べられるために生まれ、美味しく食べられることが

 

幸せといっても、それを育てた生産者さんや母親の悲しみは計り知れません。

 

僕は、愛情たっぷり注いで育てられたその愛を人々に伝えたいのです。

 

食卓に愛を届けることでお肉を食べる人が幸せになってくれるのを

 

願い、僕は今の仕事に誇りを持っています。

 

そして、お肉の仕事は無情で冷酷ではなく、愛情にあふれた温かい仕事

 

だと彼女に教えました。

 

彼女が母親に教えてもらった命を大切にするということは、

 

今の仕事で十分実現できると僕は彼女に伝えました。

 

お肉の仕事は愛を伝えることだと理解してくれた彼女は

 

今でも頑張って働いています。

 

今では、お客さんから「この前買ったお肉、美味しかったよ」と言われるのが

 

最高にうれしいそうです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。